便利な世の中が思考を貧乏化させてしまう危険性
どうも、やまたつです。
本日は「思考の貧乏化」について
21世紀(2000年〜)になって21年以上が経過し、世の中は日々便利になっています。
「こんなものあったらいいな〜」という人々の要望が次々と商品化され、それを利用する。そして、いつの間にか当たり前なことになってきているのが現状です。
その代表的なものがスマホかなと考えます。
約15年前くらいに初めて登場したスマホ。通称スマートフォン。
タッチパネル式で、今までにない仕様の携帯が登場し世界に衝撃が走ったのを覚えてます。今ではほとんどの人が所有していて逆にもっていない方が不思議なくらいです。
しかし、やまたつ的には便利な世の中になり過ぎた結果、人々の"思考が貧乏化"しているのではないかと感じました。
その危険性について考え、また思考が貧乏化しているというのはどういう意味なのかをお伝えしていきます。
今日は、だらだらと想いを綴るだけの内容で、少し読みにくいかもしれませんが、
是非、最後まで読んで頂けたら嬉しいです。
子供と何をして遊んでいいか分からない
実は、やまたつがこの記事を書こうと思ったきっかけが、このことでした。
コロナ禍になり、容易に外にもでれないご時世。
子供と家にいる時間が2年まえよりも増えました。
そして、やまたつ家は夫婦で共働きで、妻は土日仕事に家を出ることが多いです。
そんな中、土日は子供とふたりきりの時間。
毎週となってくると遊ぶネタがなくなってきます。
公園に行くか、ショッピングモール、ゲーセン、単純に家でYouTubeをみたり、おもちゃで遊んだり、基本はこんな感じ。
で、たまにボーリングとか鍾乳洞など普段行かないような所も行きます。
もちろん家族皆で出かける予定も定期的に作ってはいます。
しかし、やはり子供と二人きりでは"何をして遊んでいいか分からない"状態です。
ネタ切れです。
色んなことを考えました。
「他の家庭はどうしてるのだろう、きっと同じこと考えてるのかな?」
「いや、待てよ。。昔の人はどうしてたのかな」
「親にでも聞いてみようかな...」
こんな感じです。
そんなことを考えて、今と昔で比較したらいけないなと思ったのがきっかけ。
自分と親の世代では20年以上も教育する環境、世の中の技術の進歩が違ってきます。
今思うと、うちの息子はまだ3歳にもなってないですが、1歳の頃から普通にスマホを扱えるようになってました。
今では大人なみに自由に扱ってます。
これって、きっと20年以上前ではありえないんですよ。
てか、そもそもスマホがなかったので物理的に無理です。
Wi-Fiも現在では家庭に当たり前のようにあるので、YouTubeなどで動画は見放題。
もちろん、うちの子供も毎日のように見てます。
テレビでも見れるので、テレビ占領されてます。そのくらい中毒なんですよね。(あんまりよくない気もしますが)
そんな感じで、子供を大人しくさせたいならYouTube、とにかく家ではYouTubeばっかり。便利が上に頼ってしまってるのは親ですね。
そう感じてます。
子供も大人がスマホを使ってるの姿を見てるので、同じようにしたいんですね。
時代が時代なので仕方ないですが、これが現状です。
20年以上前では、こういうことも出来ないです。
なので、今とは遊び方が全然違うと思います。
また、その当時、育児をされていた親のみなさんも「何して遊ぼう」と考えていたとは思いますが、工夫して子供との時間を過ごされていたのかなと想像しています。
自分の親は、とにかく外に出ていたようです。公園ですね。
でも、やまたつ的には、昔なりの子供との時間としては、子供にとって良いのかなと思ってます。自然により触れられますし、親とのコミュニケーションも取れそうです。
今ではスマホ、テレビ、おもちゃも豊富、便利なものだらけです。
これはこれらなりに子供にとっていい効果をもたらしてくれているとは思いますが、確実に昔に比べると自然との触れ合い、親とのコミュニケーションは少なくなっているはずです。
上記を踏まえ、さらにこう考えました。
極端な話、縄文時代の何も文化の発展がない時代はどうしてたのだろう。
そこから、どんどん文化が発展し、技術も進歩していってます。
昔の人達で偉人や天才が多く存在してた事実も、技術の進歩や商品を開発させるための材料、環境が適度に揃っており、かといって特別便利でもない。
このちょうどいい具合が理由かなと考えてます。
要は、バランスがよかったのですね。
今では、便利になり過ぎていて、逆に考えにくくなってます。
正直、これ以上の便利って何?と問いただしたくなるくらいです。
考えればありますが、人間が空を飛んだり、どこでもドアみたいにテレポートできる、命が有限ではなく無限になる。
まだ、現実的ではないのはこれくらいなのでしょうか。
分からないですが、おそらくこれらの事も、100年後には全て現実的になっていて、当たり前になっているはずです。
そして、100年後の人々は当たり前に、空を飛び一瞬に移動してしまいます。
そうなってくると、「昔の人達はどうやって移動してたんだろう」です。
いや〜怖いですよね。
たぶん、「車で移動してたんだろうな」や「飛行機に乗ってたんだろうな」などの発想すらないかもしれません。
人が飛べるのであれば、車も需要なくなるかもしれませんし、飛行機だってない時代かもしれません。
そんな感じで便利は人々の思考を貧乏化、衰退化させてしまう危険性があるのです。
ということで、今回の教訓としては、
"モノに頼らずに、一度立ち止まって自分自身で考えてみよう"
ということです。
時にはモノに頼っていいでしょう。
家事したくないなら、お掃除ロボットに頼ってOKです。
分からないことがあれば、ググってOKです。
こういった時間の削減、効率性アップなどはどんどん便利なモノに頼るべきだとやまたつは考えます。
しかし、せっかくの子供との時間、スマホに頼らずに一緒に外に出かけて見ましょう。
川に魚釣りでもしにいきましょう。
便利な上に不効率なことは身の回りにたくさんです。
途中、自分で何を伝えたいか彷徨ってましたが、
結局はそういうことです。
"効率のいい便利"と"不効率な便利"
これらをしっかり見極めて、生活していきましょう!
これから開発される商品やどんどん発展していく世の中が楽しみですね!
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